蛇の道は蛇

流れに身を任せるのもいいものです

デフォルトモードネットワーク(DMN)と認知症の仮設

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デフォルトモードネットワーク(DMN)

人の脳は仕事や勉強などで頭を使っているときよりも、実は「ボーっとしているとき」のほうが、よりエネルギーを使って活発に動いていることがわかっています。
この「ボーっとしているとき」に活性化する脳のネットワークのことをデフォルトモードネットワーク(DMN)といいます。 

 

totthi.com

 

実は 仕事や勉強といった意識的な活動をしているときの消費エネルギーは脳全体の5%程度で 20%は脳細胞のメンテナンス 残りの75%はボーっとしているときの活動にあてられているそうです。

 

 

つまり 一所懸命何かしている時よりも 何もしないでボーっとしているときの方が 15倍も脳は活動しているということです!

 

そして デフォルトモードネットワーク(DMN)の役割は・・・

  1. ①自己認識(自分自身について考え、自分はこういう人間だと考えること)
  2. 見当識(自分はいまどこで何をしている?自分が置かれている状況を把握すること)
  3. ③記憶(自分が経験したことや学んだことを整理する)
  4. であるして

このボーっとした脳では・・・

  • ・ひらめきやアイディアが生まれやすくなる
  • ・仕事の作業効率が上がる
  • ・記憶力などの能力がアップ
  • ・人間関係などの悩みやストレスの解消
  • ・今の自分が「やるべきこと」がわかる
  • ・人生や生活の軌道修正ができる
  • 等々の 効果があるそうです。

私も よくボーっとしてる人間ですが いいところもあるということでしょうか?

 

しかし しかし('Д')

 

高齢者が 何もすることがなく 1日 ボーっと暮らすことは どうでしょう?

 

心当たりのある症状がありますね!

 

認知症の原因

認知症はいろんな疾患(アルツハイマー病や脳血管性認知症など)があり 医学的には原因もはっきりとしていない状況です。

 

一部の疾患では 脳の異常なたんぱく質の蓄積が認められています。

 

でも 何で たんぱく質が蓄積するのか 謎です(._.)

 

認知症の予防には 食事療法や運動や脳トレが有効とされています。

 

しかし 食生活が悪いから 運動しないから 頭使わないから すべからく認知症になるわけでもありません。

 

そこで 病院&高齢者施設の理学療法士の私が考えるには(*^^*)・・・

 

仮説

1日ず~っと車いすに座って過ごすことはよくないことでしょう。歩けないと散歩もできないかもしれませんが 適度な運動姿勢変換は大切だと思います。

 

1日 1回 何かに集中することは大切でしょう。それが楽しいことなら 達成感のあることなら 猶更いいと思います。

 

デフォルトモードネットワーク(DMN)は 大切な時間であると思います。

 

でも 

 

度が過ぎて 何もすることがないと 

 

人間って いやなことや不安なことばかり考えちゃうんじゃないかな?

 

過去のことを あ~すればよかった こ~すればよかったと悩んだり 人間関係の悩みや 今どうしたらいいのか悩んだり 75%の脳の活動で恨んだり悩んだりしてると これは絶対よくないと思うんです。

 

恨みや悩みに囚われると ストレスは蓄積し 脳の循環は滞り たんぱく質の循環も悪くなるのではないでしょうか?

 

ですので 私の仮説は(^^)/

 

★1日 1回 集中できるものを持ちましょう。それが 楽しいこと 達成感のあることなら素晴らしいことです。

 

★でもやり過ぎは逆効果です。のんびりする時間も大切です。

 

★1日 適度に疲れて そして 夜はぐっすり眠りましょう。

 

 

ピアサポート

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似合わない私

■保育園時代 お遊戯会 運動会には参加せず、傍観していた。

■保育園時代 保育園を抜け出して 友達のおもちゃで 一人遊んでいた。

■小学生時代 かくれんぼで めんどくさくなって 人知れず 家に帰った。

 

アスペルガー症候群ではなかったか?

友達がいなかったわけじゃないけど その都度縁が切れている。

 

希薄な人間関係の私が ピアサポートを語るのは いかがなものか!

 

でも・・・逆も真なり

仲間意識が高い⇒他を排除・攻撃

仲間意識が低い⇒客観視できる・常識に囚われない

これが私の武器になるかもしれない。

 

ピアサポートとは

ピアサポート(peer“仲間” support)とは、一般に「同じような立場の人によるサポート」

  ・相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」

  ・傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」

 

■セルフヘルプ活動としてのピアサポート

 「同じような課題に直面する人同士が互いに支えあう」

■ミーティング

  「同じような課題に直面する人同士が集まるミーティング」

 ・参加者全員で車座になる。

 ・自分の経験や思いなどを話す。他者は傾聴する。

 ・「言いっぱなし」「聞きっぱなし」が原則。

  感想を述べたり助言はしない。

 

■保健分野

 ・アルコール依存症など依存症  ・慢性疾患を持つ患者

 ・障害者(なし会など)        ・PTSDと帰還兵

 ・傷病軍人とその家族

 

■学校教育

 ・学生生徒をサポートする「ピアサポート制度」

 ・人と協力すること 話し合い 考えを形にすることの大切さ

 ・コミュニケーション力

 (これからの学生さんはピアサポートを学んで卒業してくるぞ!)

 

■障害者福祉におけるピアサポート

 ・障害者権利条例第26条 リハビリテーションの一環としてピアサポートを通じたサービスとプログラムの設置と強化が求められている。

 ・障害者自立支援法にはピアサポート強化事業の項目がある。

 

■医療者を対象とするピアサポート

 ・がん患者

 ・医療事故を経験しトラウマに苦しむ医療者に向けてのピアサポートなど

 

ピアサポートの考え方

■誰もが成長する力を持っている

■誰もが自分で解決していく力を持っている

■人は実際に人を支援する中で成長する

(だから障がい者は私にとって 私を成長させてくれる大切な存在である)

■誰もが他者をサポートできる存在であり、サポートを受ける存在である

 

★私の考えるリハビリテーション

 本人が自分らしく適応・復権しようと努めているならば、それはリハビリテーションではないか?周囲の方は、それを支援しようとしているのではないか?

 

 リハビリテーションピアサポートは類似している

 

なぜ 今 ピアサポートと思うのか

私たち

自国で戦っていた時代  *うち首獄門

            *一族郎党同罪

他国と戦っていた時代  *鬼畜米英

            *神風特攻隊(隊員は悪くない)    

 

 無知と恐怖と不安から このようなことが行われていた。

 

 でも 明らかに意識は変わりゆく 

         意識はよい方向に変わっていく

 

   競争と対立の時代はもう古くなる

 

未来は

   競争・対立の構造からピアサポートな社会へ

   ウイルスと戦う人類 人類をpeerと考えるチャンス

 

★そして 2020 新型コロナウイルス感染

 ■ウイルスに国境はなかった

 ■人は全世界つながっていた

 ■人類と細菌の戦い

 

          中国の責任だ

          国の対応が遅い

          要請に応えず営業なんて

          感染者いじめ

 

           じゃなくて!

 

日本は オリンピックを開くのだから

不平不満に振り回されず

自国の準備だけでなく

全地球的な支援に率先的に取り組まなければならない

 

私たちには

人類をpeer(仲間)として支援する時代が来る

 

今日はここまで(^^)/

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急性低音障害型感音難聴

 

先月(5月)末より 突然 耳鳴りが始まって

 

耳が詰まった感じで

 

「ザー」とか「ゴー」とか 低い音の耳鳴りが(*_*;

 

頃合いを見て 近所の耳鼻科を受診したところ

 

検査の結果「低い音の聞こえが悪くなっている」とのこと

 

それで 耳鳴りがしている

 

音の聞こえが悪くなっているって 気が付きませんでした(*_*)

 

原因

睡眠不足、ストレス、体の慢性的な疲れ、風邪などが原因で起こります。若い人に多い病気と言われていましたが、最近、増えているのが50代、60代、あるいはそれ以上の高齢の方の急性低音障害型感音難聴です。年齢に伴う動脈硬化、体力の低下が関係しているのではと考えています。

 体力の低下か~ ストレスか~

 

 十二指腸潰瘍も発症してるしな~

 

 しかし この世にストレスのない社会って ないと思うし

 

 ようは ストレス発散ができてないんですかね~

 

 コロナの影響も多分にあるかも

 

治療

 ゆっくり休む

 

 薬(ステロイド剤)

 

 食事 運動 睡眠

 

経過

リンパ液の流れが滞っている場合は10日か14日程で治ることがほとんどですが、血液の流れが悪くなっている場合は1ヶ月、2ヶ月など比較的長い期間が必要になります。治療の途中で聴力が変動する方は、1ヶ月から数ヶ月かかると考え、気長に取り組んでください。1年以上、治らなくても、ある漢方薬で完全に治った例もあります。 

 私も 徐々には改善してきているようですが まだ詰まった感じ・耳鳴り・声の響きが残っています。

 

ストレスフルだと再発もあるようで 私の場合 適度な運動とストレス解消が カギになりそうです。

スピリチュアルな教え

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スピリチュアリストは 神様を尊敬し 自分たちの魂も 神様の一玉だといいます。

 

そして 私たちは 自分で計画してきた試練を乗り越え

 

そして 乗り越えられない試練はないといいます。

 

そして 私たちは 魂の成長を続けていく とのことです。

 

実際 天国も地獄も 閻魔様も 信じられないし

 

その成長を 経験するのも 評価するのも 自分

 

ダメだったと思えばダメだし こんなもんかな~と思えばこんなものかも

 

それにしても そんなに試練が必要なものなのか!

 

成長戦略も欲深いように感じます。

 

 ・生れ出る前に 戻っていく子もいます(これは母の試練か?)

 

 ・小さいうちに病気で戻っていく子もいます(昔は多かったでしょう)

 

 ・生まれながらにして 不自由を担う子もいます。

 

 ・親から虐待を受ける子もいます(最近多いですね~)

 

 ・若くして 病気や不慮の事故で戻っていく子もいます(親の試練でもあります)

 

 ・彼氏や彼女 妻や夫と死別する試練もあります。

 

 ・受験勉強や職場の人間関係に悩まされることもあるでしょう。

 

 ・貧困に悩まされることもあるでしょう。

 

 ・そして 自分の心が病んでしまう方もいます。

 

 ・自殺を選んでしまう方もいるでしょう(これは想定外かもしれません)

 

 ・人に命を奪われる方もいます。

 

 ・自然に命を奪われる方もいます。

 

 ・独裁者に虐殺される国もあったでしょう。

 

 ・年を取り 病気やけがで体が不自由になり 介護が必要となる方もいます。

 

 ・認知症になり 理解できないことがたくさんできる方もいます。

 

 ・子供から虐待を受ける親もいます。

 

 ・人工呼吸器をつけて生きていく方もいます。

 

試練は底なしですね。

 

スピリチュアリストは 恨みや不明不満じゃなく 感謝(ありがとう)やを持って生きていくことを推奨します。

 

でも 私は すぐに理解するのではなく 悩み苦しむ時も必要と思います。その時が短いか長いか・・・究極 自分の人生が終わるときに 感謝できれば

 

徳川家康いわく 「人生は重荷を背負いて、長き道を行くが如し

 

あの徳川家康も苦しんだのでしょうね~

 

なぜ こんな試練が必要なのか これを経験してたどり着くのは「愛」なのか

 

神は そんなに「愛」がほしいのか

 

愛のない社会で 愛を見つけなさい というのか

 

その時その時で いろんな試練に悩まされ 最後にそれを「愛」と呼ぶ

 

乗り越えられない試練はない といいますが

 

できるかな~

 

 

 

 

 

 

 

メジロ

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今日は 倉庫の前に メジロが うずくまっていました。

 

何かにぶつかったか

 

何かに襲われたか

 

飛べなくなっているようです。

 

久しぶりに メジロをこんなに近くで見ました。

 

小学生のころ メジロを飼っていました。

 

私の子供のころは メジロを捕獲して ペットとして飼っていたということです。

 

1匹のメジロをかごの中に入れて 枝にかけておくんですね。するとそのメジロが鳴くので 近寄ってくるんです。その近くの枝にトリモチなるものを巻き付けていおて

(今もトリモチってあるのかな~(._.)) 飛んできたメジロがトリモチにかかり 捕獲するという筋書きです。

 

現在は メジロを捕ることはできません。

 

見た目もかわいく、鳴き声も美しいメジロですが、メジロを飼うことはできるのでしょうか。

結論から言いますと、メジロの捕獲、飼育は禁止されていますので「ノー」です。

というのもメジロの捕獲や飼育は鳥獣保護法で原則禁止になっているからです。もしも違反してメジロを捕獲すれば懲役1年以下または100万円以下の罰金を科せられますので注意が必要です。

また許可なくメジロを飼育すれば、6カ月以下の懲役または50万円以下の罰金というものもありますので併せて確認しましょう。

 

petheim.net

 

 メジロは 大分県の県鳥です。

 

 鳴き声も美しいですが 私は 緑のグラデーションのような美しい姿が好きですね~(*^^*)

 

今日は 近くで見れただけで ラッキーでした。

新型コロナウイルスの教え

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感染症との戦い

 

人類の感染症との戦いは熾烈を極めている

 

人類が唯一根絶した天然痘 50年で人口が8000万から1000万へ

 

ペスト ヨーロッパの全人口の1/4~1/3(2500万人)死亡

 

スペイン風邪 世界で4000万人死亡

 

エイズ 20年間で6500万人が感染 2500万死亡

 

SARS 9か月で患者数8093人 774人死亡

 

この医療の進んだ現在に 新型コロナウイルス

 

感染者500万人 死亡者30万人を超えるだろう(なかなか勝てない)

 

人類は 過去から学んでいるか?

 

緊急時 どうすればいいか? そのリスクマネジメントは用意されているか?

 

いかに初動が大切か

 

そのリーダーシップが大切か

 

地球全体で 戦う戦略と意気込みが必要である。

 

 「中国を非難する」

 「国の対応を非難する」

 「感染者をいじめる」

 

じゃない!

 

何を対象として戦っているのか だから何をすべきか 忘れてはならない

 

私は 医療職なので 自分の感染が誰かの命を奪うかもしれないという 失望と戦っている。それだけは避けなければならない。

 

症状があれば職場にはいかない

 

問題は私が「無症状だけど感染している」という闇の申し子になるのが怖い

 

だから どこにも行かず 家族とも離れて 部屋にこもる

 

でも

 

いつまでも どこにも行かず 誰とも会わないわけにはいかない

 

いつまでマスクをしているのか

 

いつまで消毒し続けるのか

 

先が 見えるはずがない 特に医療職は ある意味最前線の歩兵

 

そのうえ 忌み嫌われたら 割に合わない でも負けるわけにはいかない

 

感染症からの教え

 

私たちは オリンピックを成功裏に導かなければならない

 

日本が落ち着くだけでは 達成できない

 

全地球的に感染症に打ち勝ち 多くの選手と観客で 歓喜のおたけびを歴史のもとに突き刺さなければならない

 

国境や宗教や主義を超えた 地球的ピアサポート これが 感染症からの教えであろう

 

 

 

 

ともだち

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友達を定義するのは結構難しい

 

 人間関係には 家族 親族 同僚 先輩 後輩 仲間 知人 恋人 愛人等々 その中で 友人や親友ってどこで線引きできるのか???

 

 ・友達から愛人に発展したり~(;^ω^)

 ・今日の友は明日の敵になったり~( `ー´)ノ

 

 単に時間や密度じゃない 安心とか楽しいとか 心のつながりのような そして皆さん個々の判断によってそれは異なり 「友達と思っていたのに~」みたいなことも起こる 何ともつかまえどころの無い存在ですね~

 

そこに 定義を求める自分が 相当迷い人なのかもしれません(._.)

 

コトバンクでは・・・

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

https://kotobank.jp/word/友達-585036

 

①お互いに心を許す

 そもそも自分が心を許さなければ 友達になれないってことですね~

 「心を許す」ってどういうことでしょう?

 

②対等に交わる

 学生は対等になれる時期があると思います。

 また同じサークルの仲間など 対等に会話できる場合があるでしょう。

 職場で統括的立場(私)にいると 対等っていないんですよね~

 職場だと同僚 先輩 後輩 リスペクトやパワハラ 昇進や成績 どうしても対等な立場って難しく考えてしまいます。

 

③一緒に遊ぶ・しゃべる

 「子供のころ一緒に下校していた」「同じものが好きで話がよく合った」これは友達だったと思います。

 「大学のころ一緒によく遊んだ 一緒に苦楽を共にした」これも友達だったと思います。

 「職場に入って 良く一緒に呑みに行った」これは友達ですね~ でも「よく一緒に呑みに行かされた」となると ストレスになってますね~

 職場に入ると(年齢がかさむと) 友達がいなくなったり 友達と思っていても友達じゃなかったり するんじゃないかな~って思います。

 

参考

yayamar.hatenablog.com

 

私の定義

 

 そもそも 私には 幼馴染はいなくて 友達がいた時期もあるのですが 今は友達と呼べる人はいないんですね。

 

 幼馴染がいないのは 「故郷がない」を参照ください。

 

 過去に友達であった方とも 縁が切れて 長らく会ってない これも私自身の特性かもしれません。もともと人間関係が希釈なのかもしれません。

 

 私にはアスペルガー症候群を疑うような逸話があります。

 

 ①私は保育園でのお遊戯会や運動会に参加せず 観客となっていた。

 

 ②私はしばしば 保育園を抜け出して 友達の家(その友達は保育園にいるのに)の友達のおもちゃで遊んでいた。

  ・友達のお母さんは私を受け入れてくれていたんでしょうね~

  ・保育園も探しに来なかったんで 友達のお母さんと保育園はつながっていたのでしょう。

 

 ③子供のころ かくれんぼをしてて めんどくさくなって みんなが知らないうちに家に帰ってしまった。

 

 ④多勢の呑み会になると 気持ちよくなって 誰も知らないうちに 家に帰ってしまった。

 

 ま~ これでは嫌われてもしかたありません(*_*)

 

 

 というわけで 私は人と近く関わると 人を不幸にする可能性があるので 自然と人と一定の距離をもって接しているようです。

 

 というか とっつきにくい 人間なんです。

 

 ですので 

 

 私の 友達の定義は

 

 「一緒に遊んだり喋ったりする親しい人」 だだし 「その判断は個々によって異なる」ですかね~

 

 

 私は 友達と呼べる人はいないけど それを不幸とは思ってないようです。

 

 でも 人間として 友達がいる方が 普通だろうと思っています。

 

 今(58歳)から 友達作るって難しい様に感じるのは やはり原因は私の中にあると思います。