ともだち
友達を定義するのは結構難しい
人間関係には 家族 親族 同僚 先輩 後輩 仲間 知人 恋人 愛人等々 その中で 友人や親友ってどこで線引きできるのか???
・友達から愛人に発展したり~(;^ω^)
・今日の友は明日の敵になったり~( `ー´)ノ
単に時間や密度じゃない 安心とか楽しいとか 心のつながりのような そして皆さん個々の判断によってそれは異なり 「友達と思っていたのに~」みたいなことも起こる 何ともつかまえどころの無い存在ですね~
そこに 定義を求める自分が 相当迷い人なのかもしれません(._.)
コトバンクでは・・・
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。
https://kotobank.jp/word/友達-585036
①お互いに心を許す
そもそも自分が心を許さなければ 友達になれないってことですね~
「心を許す」ってどういうことでしょう?
②対等に交わる
学生は対等になれる時期があると思います。
また同じサークルの仲間など 対等に会話できる場合があるでしょう。
職場で統括的立場(私)にいると 対等っていないんですよね~
職場だと同僚 先輩 後輩 リスペクトやパワハラ 昇進や成績 どうしても対等な立場って難しく考えてしまいます。
③一緒に遊ぶ・しゃべる
「子供のころ一緒に下校していた」「同じものが好きで話がよく合った」これは友達だったと思います。
「大学のころ一緒によく遊んだ 一緒に苦楽を共にした」これも友達だったと思います。
「職場に入って 良く一緒に呑みに行った」これは友達ですね~ でも「よく一緒に呑みに行かされた」となると ストレスになってますね~
職場に入ると(年齢がかさむと) 友達がいなくなったり 友達と思っていても友達じゃなかったり するんじゃないかな~って思います。
参考
私の定義
そもそも 私には 幼馴染はいなくて 友達がいた時期もあるのですが 今は友達と呼べる人はいないんですね。
幼馴染がいないのは 「故郷がない」を参照ください。
過去に友達であった方とも 縁が切れて 長らく会ってない これも私自身の特性かもしれません。もともと人間関係が希釈なのかもしれません。
私にはアスペルガー症候群を疑うような逸話があります。
①私は保育園でのお遊戯会や運動会に参加せず 観客となっていた。
②私はしばしば 保育園を抜け出して 友達の家(その友達は保育園にいるのに)の友達のおもちゃで遊んでいた。
・友達のお母さんは私を受け入れてくれていたんでしょうね~
・保育園も探しに来なかったんで 友達のお母さんと保育園はつながっていたのでしょう。
③子供のころ かくれんぼをしてて めんどくさくなって みんなが知らないうちに家に帰ってしまった。
④多勢の呑み会になると 気持ちよくなって 誰も知らないうちに 家に帰ってしまった。
ま~ これでは嫌われてもしかたありません(*_*)
というわけで 私は人と近く関わると 人を不幸にする可能性があるので 自然と人と一定の距離をもって接しているようです。
というか とっつきにくい 人間なんです。
ですので
私の 友達の定義は
「一緒に遊んだり喋ったりする親しい人」 だだし 「その判断は個々によって異なる」ですかね~
私は 友達と呼べる人はいないけど それを不幸とは思ってないようです。
でも 人間として 友達がいる方が 普通だろうと思っています。
今(58歳)から 友達作るって難しい様に感じるのは やはり原因は私の中にあると思います。