蛇の道は蛇

流れに身を任せるのもいいものです

賽の河原

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賽の河原はいかがなものか

私が仏教の話の中で もっとも釈然としないことは この「賽の河原」です。

 

この考え方があることで 宗教全体を信じる気になれない とも言えます。

 

親より先に亡くなった子供は

 

親孝行もせずに 両親を悲しみ苦しませた

 

なぜ その子のせいなのか?

 

病気で死んでも 事故で死んでも その子のせいになってしまうのでしょうか?

 

現在は 親が虐待をして 子供を死なせてしまうケースだってあります。

 

親だから 子供だからって 一つの魂に 差別を付けるのは 従えません。

 

確かに 昔々は 親は尊敬にい値し 子は従って生きるが日常だったでしょうが

 

現在はどうでしょう。

 

父親の価値は もはや地に落ちてるし、反面教師の親もたくさんいます。

 

宗教は 時代に合ってないのではないか とも思えます。

 

 

みんな 自分の人生を 頑張って生きてる 一つの魂ではないでしょうか?

 

早く行こうが 遅く行こうが 王道で行こうが 邪道で行こうが 正解不正解はないでしょう。

 

人生の一つ一つは 大切な物語であり 優劣はないはずです。

 

だから 「子供が 賽の河原で石を積み それを鬼が壊す」なんて

 

子供を亡くした親としては

 

そんなことは もともとする必要はないし そばにいたけりゃいてもいいし さっさとあの世に行っても何の問題ありません。

 

今回は 前々から 釈然としなかった「賽の河原」について 持論を書かせていただきました。