蛇の道は蛇

流れに身を任せるのもいいものです

行雲流水

 

 

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サブテーマ

「行雲流水とは、物事に執着せず、自然の成り行きに身を任せること。また、とどまることなく自然に移り変わってよどみがないことのたとえ」

 

故事ことわざ辞典より

http://kotowaza-allguide.com/ko/kouunryuusui.html

 

奇跡的な流れ

私は理学療法士ですが 理学療法士になりたかったわけではありません。

 

高3の時に 通ってた塾の先生に 「受けてみないか」と勧められて

 

当時(30年前)は 知名度のない(学校先生も知らなかった) リハビリの学校に行くこととなりました。

 

それまでの志望校は九州工業大学でしたが 忘れ去られることに。

 

九州リハビリテーション大学校は 労働福祉事業団(国の管轄)で

 

授業料無料 寮費無料 本は先輩のおさがり 係る経費は食費のみ(月15,000円程度)

 

そのうえ 卒業後は 就職の病院も決まっており その病院から月4万円の生活費がもらえるという待遇(25,000円はお小遣い)

 

  *今の小遣いより多いじゃ~ん( ゚Д゚)

 

親がアル中大工で 大学に行くような資金はなかったと思われます。

 

そんな境遇の私に奇跡的な流れ これに乗らない手はない!

 

ゆえに 私は 「どうなりたいとか」「どこに行きたいとか」という執着ではなく

流れのままにリハビリの学校に行き 理学療法士になり 今も理学療法士であります。 

 

 

宇佐に新築

30歳の時に 親父の仕事の糧に 家を新築することとなりました。

 

当時 独身だったので 家はいらなかったんですけど(._.)

 

ここでも 自然の流れに身を任せたわけです。

 

すると ここから 職場が変わり 結婚し 地域活動を行うようになりました。

 

引かれるままに職場が変わる

時代は流れ 理学療法士の需要はうなぎ上りとなりました。

 

「どこかに理学療法士はいませんか?」と病院・施設から手を引かれました。

 

2つ目の病院 3つ目の病院は パイオニアで リハビリの施設基準を取り 1から組み立てていきました。

 

現在は4つ目の病院&施設にいますが ここまで ハローワークにも行ったことがなく

手を引かれるままに流れてきました。

 

考えたこともなかった大学院へ

4つ目の病院&施設で 私の地域活動でのデータが注目され 理事長から「行きなさい」 妻から「行きなさい」と断れなくなりました。私は40歳を超えていました。

 

ここでも 流れに反することなく 流れていったのです。

 

おかげで 博士と言われるようになり 論文を2つ持つこととなりました。

 

今でも 学会発表 学校での授業等行っています。

 

山cafe生活

令和元年から 山にcafeを作って生活しています。

 

ん~ これは 流れ? 

 

成り行きじゃない 願いだったような

 

50歳を過ぎて 執着心が生まれたか?

 

いやいや 実は これも後から見ると 一つの流れになっているのかもしれません。

 

まとめ

こうやって 人生 流れてきたわけですが 最後の選択の決断は自分で行っているので 今の流れを自分で選んでいたのかもしれません( `ー´)ノ

 

いやいや そう流れるように 仕向けてきた 影武者がいるのです

 

私は その影武者に素直なだけ!

 

ひとまず その影武者にお礼を言っときましょう

 奇跡的な流れ ありがとうございます。

 感謝します。